lunes, 7 de enero de 2008

パリ, 各地域 括弧内の数字は区を示す。

右岸
シャンゼリゼ通り (8)
凱旋門からテュイルリーまで続く、パリを代表する目抜き通り。
シテ島 (1, 4)
パリ発祥の地であり、
ノートルダム大聖堂など歴史的建造物も多い。
パッシー (16)
高級住宅地。
オペラ界隈 (2)
デパートや高級ブティック、銀行などが立ち並び、日本料理店や日本の生活雑貨店が並ぶ
日本人街でもある。
マレ (3, 4)
貴族の館が集中して残る地域であり、現在は裕福なユダヤ系住民が多く住む。美術館やギャラリーも多い。お洒落な
ゲイの集まる地域でもある。
バスティーユ (4, 11, 12の各境)
フランス革命の発端となった場所として有名だが、今では若者が集まる歓楽街となっている。オペラ・バスティーユもある。
オベルカンプ (11)
同じく歓楽街だが、比較的新しい。テクノ音楽やゲームなど新しい文化を紹介する場として認識され、アニメショップなども複数見られる。
ピガール、ブランシュ (18)
モンマルトルのふもとに位置する。高級キャバレー「ムーラン・ルージュ」があるが、その他は怪しげな
キャバレーやいかがわしいセックスショップが多く並ぶ性的歓楽街でもある。昔から猥雑な界隈であり、永井荷風の「ふらんす物語」にも描かれている。
モンマルトル (18)
パリを見下ろす高台。パリ市に編入されたのは1860年以後だが、現在ではパリを代表する名観光地となっている。2001年のフランス映画『
アメリ』の舞台にもなった。サクレ・クール寺院が一番の高台にそびえ、そこから西側へ行くにつれテルトル広場やムーラン・ド・ラ・ギャレットなど観光名所が多く並ぶ。寺院東側は観光地ではなくアフリカ系移民が多く暮らすシャトー・ルージュ地区。
ベルシー (12)
昔は
倉庫街だったが今は再開発が進み、大蔵省やベルシー公園、ワイン倉庫街を改造したレストラン街などが新しい観光地となっている。
ベルヴィル (11, 20)
元々はパリ郊外のコミューンだったが、
1860年にパリに編入された。アラブ系、アフリカ系、ユダヤ系(労働者系の)、中国系(華僑)など、主に労働者系の多くのが暮らす地域。安くて異国的なレストランなどが集中する。名前とは裏腹に雑多で庶民的な界隈であるが、近年ベルヴィル公園が整備され、再開発が進んでいる。エディット・ピアフの生地でもある。トルビヤック地区に次いで、1970年代以降パリ第2の中華街が形成されつつある。
バルベス (18)
ベルヴィルと同じくアラブ系やアフリカ系の移民が多く暮らす。有名な安物服屋やアフリカ系商店街があり、人口密度も多く、駅前は常に混雑している。

[編集] 左岸
モンパルナス (14)
庶民的な雰囲気を残す左岸の地域。
サンジェルマン・デ・プレ (5, 6)
歴史的地区であり、美術学校に近いことからギャラリーも多い。
サルトルら哲学者が集まった場所として有名な2軒のカフェがある。カルチエ・ラタンに隣接する。
カルチエ・ラタン (5, 6)
ソルボンヌ大学をはじめ大学が集中しており、昔から学生街として有名。カルチエは「地区」、ラタンとは「ラテン語」のことであり、「ラテン語を話す (= 教養のある) 学生が集まる地区」という意味が語源。羅典区。
エッフェル塔とシャン・ド・マルス公園 (7)
パリを代表する観光名所としてあまりに有名。セーヌ川の観光船のうち有名な2つの船の発着点ともなっており、観光客が集中する。
トルビヤック (13)
いわゆる中華街だが実際は
ベトナム系が多く、中華・ベトナム料理店が並ぶ。昔はゴブラン織りで栄えたが、今は高層ビルが林立する再開発地域である。川、運河

[編集] 川

セーヌ川
セーヌ川
パリ市内を横断する川であり、
パリのセーヌ河岸世界遺産に登録されている。パリではセーヌ川の北部を右岸 (Rive Droite) 、南部を左岸 (Rive Gauche) という。パリ市中心部にある川中島であるシテ島は、パリ市発祥の地である。シテ島の東にもうひとつサン・ルイ島という島がある。セーヌ川は重要な運路であり、パリ市内では観光船のほか運搬船も多く行き来する。パリ市東部郊外のごく近い場所でセーヌ川とマルヌ川が合流し、ベルシーからパリに入り、途中サン・ルイ島とシテ島を抜け、アンヴァリッドのあたりで南西に折れ曲がり、そのまま15区と16区を抜けていく。パリを抜けた後は蛇行を繰り返し、ノルマンディー地方を経て大西洋へと流れていく。パリ市内には多くの橋がかかっており、歴史やいわくのある橋も多い。詳細はセーヌ川の項を参照。
ビエーヴル川
13区のトルビヤック地区やゴブラン地区には、セーヌ川の支流であるビエーヴル川という自然の川がかつて流れていた。今は下水道として完全に地下化してしまい、現在の一般の地図上でその存在を確認することは出来ないが、古地図などで見ることが出来る。国立ゴブラン織り製作所は、この川の上に存在する。

[編集] 運河

サン・マルタン運河
サン・マルタン運河
パリ東部セーヌ右岸を南北に流れる
運河。セーヌ川に面したサン・マルタン運河の出入口はアルスナル港と言う。ここからバスティーユ広場を経て、運河は地下水道となる。10区に入ったあたりで、運河は地上に顔を出す。この辺りには水位を上下するための水門がいくつかある。10区の運河沿いにはかつて革製品などの町工場が多く並んでいたが、今はそれらの工場は衰退しており、徐々に再開発の動きが進んでおり、最近は、景観を生かしてレストランが並ぶ。10区と19区の境にある地下鉄2番、5番、7番のジョレス駅およびスタリングラッド駅付近にあるラ・ヴィレット運河まで出たところで、サン・マルタン運河の名称は終わる。今はサン・マルタン運河を走る運搬船はほとんどないが、観光船が走っている。
ウルク運河
サン・マルタン運河と一続きの運河だが、ラ・ヴィレット運河より以北はこの名称になる。パリ19区からパンタン市へ、さらに遠方のウルク川へと繋がっている。メトロ5番は、終点、ボビニー・パブロピカソ駅手前でこのウルク運河沿いの地上部を走る。ラ・ヴィレット公園の手前でサン・ドニ運河と分岐(合流)している。
サン・ドニ運河
ラ・ヴィレット公園の手前でサン・ドニ運河と分岐・合流している。パリ市内では19区のごく一部を流れる。パリ郊外のオーベルヴィリエ市、サン・ドニ市を経て、パリ北部で蛇行するセーヌ川下流と合流する。ウルク運河経由で水路をショートカットするためにつくられており、運搬船が頻繁に行き来している。
[編集] 広場、公園、森

[編集] 広場

コンコルド広場

バスティーユ広場

ヴァンドーム広場

シャルル・ド・ゴール広場
コンコルド広場 (1)
パリの中心部、テュイルリー公園とシャンゼリゼ通りに挟まれて位置する。歴史ある広場で、フランス革命の後にはルイ16世や
マリー・アントワネットの処刑が行われた。現在はツール・ド・フランスの終着点としても知られ、最終日には多くのファンが集まる。
ヴァンドーム広場 (1)
ナポレオン2世の記念柱が立っている。この広場および隣接するサントノレ通りには高級宝石店や高級ブティックが並ぶ。
バスティーユ広場 (4, 11, 12の各境)
フランス革命の発端となったバスティーユ要塞があった場所で、要塞は革命後に取り壊されて現在の広場となった。広場中央には革命の記念柱が立っている。広場に面してオペラ・バスティーユがある。サン・マルタン運河出入口のアルスナル港にも面している。
ヴォージュ広場 (4)
バスティーユ広場のすぐ近くだが奥まった場所にあり、赤い煉瓦と石造りの美しい建物に囲まれたほぼ正方形の広場である。その赤い建物の一角には
ヴィクトル・ユーゴーの住んだ家がある。フランス革命前は国王(ロワイヤル)広場と呼ばれていた。
サン・ミッシェル広場 (6)
カルチエ・ラタンの中心部に位置し、セーヌ川および対岸のシテ島、ノートルダム寺院に面している。本屋などが多くあるほか、広場裏手には安手のレストランが立ち並ぶ。
シャルル・ド・ゴール広場(エトワール広場) (8)
凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを含め放射状に道路が伸びる、パリの顔とも言うべき広場。元はエトワール広場と呼ばれたが、
第二次世界大戦シャルル・ド・ゴール将軍をたたえて現在の呼称となった。通常はエトワール広場の呼称でも通じる。1860年のパリ拡張以前はパリの西の玄関だった。
レピュブリック広場 (3, 10, 11)
訳すと共和国広場。庶民的な地区に位置するが、広場としてはきわめて大きいそれの一つ。マニフェスタシオン(デモ)がある際にはほとんどここが起点となる。
ナシオン広場 (11,12)
エトワール広場と同じく道が放射状に伸びる、1860年以前のパリの東の玄関。かつてカルーゼル凱旋門が置かれていたが現在同門はルーヴル正面に移され、現在ナシオン広場には2つの柱が立っている。
ロベスピエールの恐怖政治時代にはここで多数の反体制者がギロチンで処刑された。
テルトル広場 (18)
モンマルトルがパリに編入される以前はこの広場が村の中心だった。現在は絵描きが多く並ぶ一大観光名所となっている。
イタリー広場 (13)
パリの南の玄関口。

[編集] 公園、庭園

公園はパーク (Parc)、庭園はジャルダン (Jardin) と呼ばれ区別されている。
テュイルリー庭園 (1)
パリの中心部、ルーヴル宮の正面に位置する。かつて
テュイルリー宮殿があった。
リュクサンブール庭園 (6)
リュクサンブール宮殿(現在のフランス上院議会)の正面に位置する庭園。カルチエ・ラタンに隣接し、学生たちの憩いの場でもある。
シャン・ド・マルス (7)
エッフェル塔に登ると先ず目に入るのが眼下に広がるこの公園の全景である。かつては軍事演習場だったところ、1889年のパリ万博の会場にもなった。
モンソー公園 (8)
1860年のオスマン公によるパリ大改造で公園に整備された。
ベルヴィル公園 (20)
庶民的なベルヴィル地区に位置する。高台になっており、パリを一望できるとても眺めの良い公園。
ビュット・ショーモン公園 (19)
同じく1860年のパリ大改造で整備され、昔の石切場跡を公園にした。
植物園 (5)
その名の通り
植物園で、動物園も併設する(ただしヴァンセンヌの森の動物園よりは小さい)。敷地内には自然史博物館がある。
モンスーリ公園 (14)
これも1860年のパリ大改造で整備された。14区の外れにあり、
国際大学都市に面している。
ジョルジュ・ブラッサンス公園 (15)
馬市場、家畜市場の跡を整備した公園で、銀色の巻貝のような劇場を併設する。馬市場の跡の19世紀の鉄骨屋根のテントの下では、定期的に古本市が開かれる。
ラ・ヴィレット公園 (19)
庶民的な地区に属するが、かつての食肉処理場跡および旧鉄道用地の広大な敷地を再開発して公園とした。広大な敷地内にはサン・ドニ運河(サン・マルタン運河に繋がる)が流れる。代表的な建物として、食肉処理場時代の19世紀の鉄骨建築ホールをそのまま流用したグランド・アール(見本市会場)、科学産業都市(博物館)および音楽都市(
クラシック用コンサートホール)、ZENITH(ロックポップス用コンサートホール)、パリ音楽院現校舎などがある。
アンドレ・シトロエン公園 (15)
自動車会社シトロエンの工場跡および鉄道敷地跡を整備して公園にした。大きな芝生の広場がある公園で、現代的なデザインである。
ベルシー公園 (12)
フランソワ・ミッテラン元大統領により整備された。新大蔵省の建物に面している。付属のベルシー体育館ではスポーツのほかコンサートなども行われている。

[編集] 森

ブローニュの森
パリには東西2つの大きな森があり、パリ市民の憩いの地となっている。現在はこの森もパリ市の敷地に含まれる。
ブローニュの森 (16)
パリの西側に位置する。16区の高級住宅街パッシーやオートゥイユ、近郊の高級住宅市街に面し、高級社交場でもあるオートゥイユ競馬場なども併設する、高級的な雰囲気の漂う森である。ただし夜暗くなってからは
ゲイの人達が集うことでも知られる。
ヴァンセンヌの森 (12)
パリの東側に位置する。こちらは庶民的な森として知られ、アフリカ・
オセアニア博物館のほか、動物園農場(パリ唯一の農場)、パーク・フローラル(花公園)などを併設する。中世の砦だったヴァンセンヌ城もある。

[編集] 四大墓地

パンテオン
パリは東西南北に4つの主要な墓地があり、多くの著名人が眠っている。
ペール・ラシェーズ墓地 (20): 東
パッシー墓地 (16): 西
モンパルナス墓地 (14): 南
モンマルトル墓地 (18): 北
この他、パリ中心部に位置する
パンテオンにもルソーヴォルテールヴィクトル・ユーゴーデカルトといった偉人たちが埋葬されている。

[編集] 郊外

パリの郊外にはヴェルサイユなど有名な観光地がいくつかあり、そのほとんどはパリから日帰りで往復できる。
16-17区に繋がるセーヌ川下流の西部方面には閑静な高級住宅地が広がっている。逆に18~20区から繋がる北東方面は低所得層の集まる地価の安い郊外となっており、近年は犯罪増加などの問題を抱えている。フランスで単に「郊外(
バンリュー)」という場合、こうした地域を婉曲的に指すことが多い。その他の方面の郊外は一般的なベッドタウンとなっている。
パリより
電車で各30分ほど離れた郊外にはいくつかの衛星都市があり、近代建築によって町の機能が整えられている。中でもラ・デファンスには「新凱旋門グランダルシュ」をはじめ高層ビル群が集中しており、多数の企業オフィスを抱える新都心となっている。
詳細は
イル・ド・フランス地域圏を参照

[編集] 観光名所

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