lunes, 7 de enero de 2008

石山修武 世田谷村日記

R386

一月五日 十三時半過ポストにどさりと各種通信を投げ込み研究室へ。何人かが出ていてモソモソやっていた。広島と連絡、そうすんなりとはいかないな。十七時研究室発。クンメーで新年会十九時半迄。世田谷村に戻る。広島よりの連絡を待つもナシ、二十四時休む。

一月六日 日曜日 七時起床。新聞を読み、畑仕事。デッカイ石やコンクリートの基礎等を掘り起す。ここは昔、家の離れが建っていた場所で、解体に際して、そういう類のゴミを土中に埋め戻していた処なので、土を掘り返すのも生半可じゃない。寒い中一汗をかき、首と腰が痛くなりあわてて休む。十時半迄。もっと軽くやりたいのだが、石にツルやクワがガチリと当たると、コン畜生という感じになってしまうのだ。ただ、今土を掘り返して空気に当てておくと土の改良には良いらしい。

午後、連絡あり広島は苦戦しているようだ。キレイなプロジェクトがそうすんなりと進むわけがないのは承知しているが、仲々商売人達はしたたかだからね。午後は借りてきた「街道をゆく 二 韓のくに紀行」司馬遼太郎・朝日新聞社読む。流石司馬遼太郎の旅と我々の韓国の旅とは月とスッポンだナアと痛感する。

しかし、司馬遼太郎が随所で述べようとしている、日韓の歴史的交流の事実を知るに、渡辺豊和氏の秦氏外来工匠説(ゾロアスターはともかく)もあながち暴論ではないと思い始める。渡辺が言うのと、司馬が言うのとでは説得力が違うのではない。ただただコチラが俗人なだけなのだ。渡辺はいい線いってるのかも知れんな。しかし、何に触れるにせよ、歴史を体験するにせよ、何の知識もなく見るのと、充分な知識を得て見るのとでは視えてくる世界が全く別次元になってしまうのを知るのは辛い。

夕方、読了後、再び外に出て西の壁の下に瓦のスソをつける作業を少しばかり。マア思い付きに過ぎぬ作業だが、本ばかり読んでいると頭が痛くなるから。ホンのチョットでも作る作業をしていると、これも又、旅行と同じ意味合いがあるのに気付く。作るのは、畢竟好奇心の身近な発露に過ぎない。本を読んだり、旅をするのと同じ世界だ。十八時前作業を止めてフロに入る。セーターに枯草がいっぱいついてしまって取れない。

誰かと話している時にフッと良い考えが生まれたりする事が多かったような気がして、最近の如くに一人で居る時に、一人で考え抜くのが弱い現実に立たされている。チョッと辛いが、これは正面から立ち向かわないといけないのも知っている。年令なりの知恵だろう。しかし、瞬発力に陰りが出てきたらどうにもならないのだろうな。

一月七日 月曜日 七時過起床。三階の南テラス。自作のテラスのヘイに残飯を置いていたが、しばらく鳥は来なかった。ようやく気が付いた様で、先ずハトがやってきて、それから雀達がやってきた。飯をついばんでいる。三、四日気がつくのに時間がかかったな。カンボジアのひろしまハウスに鳥がとまれるようにレンガを幾つも突き出しておいたのに、実際鳥たちがとまっているのを見た時は人知れずヤッタネと思ったものだが、世田谷村もその状態に近付いている。

猫を飼うようになって、二階のエサ台は危くなった。猫が鳥を襲うからだ。それでしばらく鳥の姿を身近に見る事はなかった。ようやく、鳥が帰ってきた感がある。韓国の川廻村で久し振りに野放しのチャボを見たが、近くの家でもニワトリを沢山野放しにしている家があるのを知っている。木に登って眠っているようだが、猫には狙われるのだろうな。一階に早くニワトリ小屋を作りたいのだが、まだ家族の同意が得られない。

昨日描いたドローイングを眺めると少々白々とせざるを得ないが、これはこれでやり続けたい。今日から研究室ではメキシコのプロジェクトを本格的に始動させる。

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